タイトルの「友を多く持つ者は牢獄で死なない」はポルトガルのことわざです。時田昌瑞著「たぶん一生使わない?異国のことわざ111」イースト新書Qから引用しました。
「友を多く持つ者は牢獄で死なない(ポルトガル)」のことわざ。
友人が多い人にはなんらかの救いの手があるものだとの意。
類似したことわざには、「友は千人でも少なく、敵は一人でも多い(イラン)」「神は一人もつだけで十分だが、友だちはたった一人では少なすぎる(チェコスロバキア)」「友が多ければ心の広がりは草原のよう、友が少なければ心の狭さは手のひらのよう(チベット)」「百ルーブル持つより百人の友を持て(ロシア)」などがある。
さらに逆境に際した場合には「友の良し悪しが分るのは食卓ではなくて牢獄の中だ(セルビア)」「友は牢獄で役に立つ食卓では敵も友に見えるから(イラン)」といったように、大勢の友を持つことへの評価は高い。
しかし、「本当の誠実な友を見つけるよりも、海の底まで干すほうが易しい(フィリピン)」のように真の友を見つけることは容易でないし、「自分一人でいる方が悪い仲間といるよりまし(スペイン)」なのだから、ことは単純にはいかない。
時田昌瑞著「たぶん一生使わない?異国のことわざ111」イースト新書Q
友を持つことは人生で最良のことです。人生には様々な困難もあります。その時に、一緒に寄り添って歩みを進めてくれる友の存在ほど大きいものはありません。
友は人間です。一般的概念としては。すなわち「友」は、大概は「友人」ということになるでしょう。しかし、その「友」は「友人」でない場合もあると思います。それは、「本」であったり、「絵画」であったり、「映画」の場合もあるでしょう。「本」を読んでも、人それぞれ、感じ方もイメージする情景も、そして、それを感想として述べる表現も全て千差万別でしょう。やはり、「友人」と共に、人生に普遍的価値や影響を与えるものは「本」だと思うのです。
ポルトガルのことわざ「友を多く持つ者は牢獄では死なない」は「友人が多い人にはなんらかの救いの手があるものだ」との解釈が記述してありますが、これも訳者なり著者なり編集者の解釈なわけです。それを全く否定や評価するものではありません。それで、いいのです。その「本」から得られる情報を自分のものにしていく。それを、忘れてもいいのです。自分の人生の何らかの糧になっていればいいのです。
イランのことわざ「友は千人でも少なく、敵は一人でも多い」。敵はいない方がいいです。敵は困難とも言い換えられます。そんなの少ないに越したことはありませんが、そんなことはあり得ないのが当然です。困難に抗い、乗り越えていく。そこに、必要なのが友であり、本から得た生きる哲学であり指標です。友は多いのはいいです。書斎の本棚もいっぱいがいいです。
チェコスロバキアのことわざ「神は一人もつだけで十分だが、友だちはたった一人では少なすぎる」。一人でもいいとは思います。神は生きる哲学であり、生き方でしょうか。確かに、確たる哲学・思想があれば十分でしょう。やはり、友も多い方がいいし、「書斎」の本も1冊はありえませんね。
チベットのことわざ「友が多ければ心の広がりは草原のよう、友が少なければ心の狭さは手のひらのよう」。ヒマラヤを仰ぎ見ながら、遥か彼方まで広がる大草原が心に浮かびます。友が少なければ心の狭さは手のひらのように狭く感じ、友が多ければ心に広がる大草原のように歓喜に満ちた気持ちになります。本が多ければ、汲めども尽きぬ智慧の泉がそこにある安心感と喜びが広がります。
ロシアのことわざ「百ルーブル持つより百人の友を持て」。現在の交換レートは1.8円くらいです。180円持つより百人の友を持て。当然のことです。友は経済的価値、貨幣価値で換算することは出来ないくらい大切で、人生の価値である。得心です。多くの友を持つ、そのために多くの本を読んでいきたいですね。
セルビアのことわざ「友の良し悪しが分るのは食卓ではなくて牢獄の中だ」。平穏な時でなく、苦境の時にこそ友の真価が分かる。そうだろうな。苦労の中で、本の価値もわかるかもしれません。
フィリピンのことわざ「本当の誠実な友を見つけるよりも、海の底まで干すほうが易しい」。本当の誠実な友の有難さ。友を持つ大切さが心に沁みます。真の一書を見つけることの難しさがあるのかもしれません。
友を持つ、友と語る、友を思う、本を読む、本に帰る、本と休む。ことわざは千差万別ですが、人間の求める平穏やしあわせの普遍的価値に行き当たります。本の感動を友に伝え、共感していくことも素晴らしいことです。
読んだ本を「本棚」に収める。その「本棚」に囲まれた「書斎」で、時を過ごす。そして、ボ~とする。読書する。なんと価値的なことでしょう。