山崎豊子のことば 書斎は牢獄 創造は死闘の現場

長編の執筆が始まると、終日、書斎に閉じこもり、日々是(これ)牢獄の思いになるのです。ですから、連載が完結したときは「出獄!万歳!」と快哉を叫ぶことになるわけです

山崎豊子

今、山崎豊子著「沈まぬ太陽(二)アフリカ篇・下」を読んでいる。忙しい時間の合間での読書である。長編なので読み応えは十分で主人公・恩地元の生き方にハラハラドキドキ共感しながら楽しく読み進めている。

蔵書を増やさない一工夫

山崎豊子作品は「白い巨塔」「華麗なる一族」「不毛地帯」「大地の子」等々長編でそして映画化、テレビ化されている作品が多い。山崎は「花のれん」で直木賞を受賞している。大学卒業後、毎日新聞勤務時に上司の作家井上靖のもとで記者としての訓練を受けた。

https://editor.fem.jp/blog/?p=214/

このインタビュー記事を読むと綿密な取材、ギリギリのところで戦い抜く作家の執念を垣間見た。それは、山崎のことばに「日々是(これ)牢獄の思い」とあるように正しい歴史を捻じ曲げて綴るのではなく正しい真実の人間の正義を表現しゆく壮絶なる精神闘争が作家業なのだと思う。

平凡な我々は作家のようにこのような精神闘争は出来ない。だから、書斎に籠って1ページ、1ページその紙の本のページをめくり、ひも解く精神闘争が必要になる。

「沈まぬ太陽」の中で、日本人でありながらイギリス人男性と結婚しアフリカの女王と言われる女性の言葉がある。

「人間が、人間を差別する不条理 ー 、私は、それ以来、アフリカの部族に対して、決して差別意識を持たないことを、心に固く誓ったのです」

しんと、心に響くような声で云った。恩地は胸うたれた。

一見、華やかで、差別などとは無縁の人のように思っていたアフリカの女王が、自ら差別に遭い、生きぬいて来たことをはじめて知った。恩地自身、職場の不平等や差別と闘って来た道程と思い合せ、今さらのように差別は、人間の哀しい性だと思った。

第8章 ナイロビ (新潮社刊)

不条理の社会の中で人間は生きる。偏見、差別、貧困、裏切り、様々な不条理を経験しているのは自分だけではない。あの人がと思う人も同じ人間であり自分と同じように不条理を経験している。自分の人生とあの人がと思う人の人生を重ね合わせ人間の本性をあぶりだしていく。

一体、会社はどこまで自分を追い詰めようとしているのか。ここまで追い詰める会社側に対し、怒りを通り越して、人間の汚さへの絶望を感じた。一人の人間を、平然と、組織ぐるみで葬り去ろうとする冷酷さを考えると、この上さらに追い詰め、自分が自暴自棄に陥るのを待っているのだろうかー。

第8章 ナイロビ (新潮社刊)

自分の人生だけでは経験できない世界、社会、経験を書斎に籠り本との精神闘争で経験することが出来る。その時に作者の「出獄!万歳!」の快哉の声が聞こえて来るに違いない。

恩地も笑いながら、ビールのコップを置き、「そうか、帰ったら家を建ててやろうね、今からでは小さい家しか建てられないが、楽しみにお父さんの帰りを待っていてくれ」 二人の子供の顔を見ながら、約束した。

第9章 春雷 (新潮社刊)

書斎に籠り、本を手にして作者が「日々是(これ)牢獄の思い」で綴った文字を読み命に叩きこむ。これぞ、至福の時である。

「マリコ 津慶 知代子 どうか仲良く がんばって ママをたすけて下さい
パパは本当 に残念だ きっと助かるまい 原因は分からない 今5分たった
もう飛行機 には乗りたくない どうか神様 たすけて下さい
きのうみんなと 食事したのは 最后とは 何か機内で 爆発したような形で
煙が出て降下しだした どこえどうなるのか 津慶しっかり た(の)んだぞ
ママ こんな事 になるとは残念だ さようなら 子供達の事 をよろしくたのむ
今6時半だ 飛行機は
まわりながら 急速に降下中だ 本当に今迄は幸せな 人生だった と感謝している」

遺書の全文は、翌日の新聞で大きく報道され、多くの国民に深い感動を与えた。

一人の人間が、死を前にして、かくも冷静に知・情・意を尽した遺書を記し得るものなのかー。その文字から滲み出ているものは、強靭な意志と、家族に対する限りない愛情、人間の尊厳に満ちた惜別であった。恩地は、五体の震えが止まらぬ感動を覚えた。

第3巻 御巣鷹山篇 第3章 無情 (新潮社刊)

書に引き込まれる。情景が脳内劇場にまざまざと映し出される。心に、人間の弱さ、勇気、葛藤、感情、安らぎ、人間の強さ、様々なものが交錯し、そして過ぎ去っていく。

https://president.jp/articles/-/84120

五百二十人の犠牲者の真の弔いは、花で飾ることではない。娘を含む犠牲者が、あの飛行機の中で願ったことは「死にたくない」の一言に尽きる。何としても生きたいという思いにもかかわらず、悲惨な死を遂げた者に対して、生きている者が為すべきことは、死者の遺志を汲んで二度と事故を起こしてはならないと誓い、たとえ、危機的状態に陥ったとしても、乗客の生存率を高めるための方法を講じることである。

第3巻 第5章 鎮魂 (新潮社刊)

1985年8月12日、日本航空123便墜落事故よりまもなく39年となる。暑い8月を迎えるたびに思い出す。歴史的事実。今なお無くならない悲惨な事故。そして、戦争。人間は、だれもが、しあわせで、健康で、安穏な人生をおくりたいと思う。人は変わらない、変われるのは自分だけだ。自分の変革から出発だ。

「あれから39年か」

社員二万人の中で、なせ自分たちだけが、ご遺族の世話役に廻され、その中でも人の命を金銭に換算する補償の仕事を強いられるのか。東京本社で、日常業務だけで安穏と過ごしている者が沢山いるのではないかという思いは、誰にだってある。事実、遺族係は、ごく少数を除いて、殆どが定年前、もしくは各職場の窓際族の“閑離職”を出している。

第3章 第6章 償い (新潮社刊)

久々の休日。書斎で、本を開き心ゆくまで読書に没頭する。至福の時間。メールで「延長資料のお知らせ」が届く。そうだ、午後から図書館に行こう。本を返し、本を借りて来よう。そして、書斎で心ゆくまで本を読もう。

何一つ遮るもののないサバンナの地平線へ黄金の矢を放つアフリカの大きな夕陽は荘厳な光に満ちている。それは不毛の日々に在った人間の心を慈しみ明日を約束する、沈まぬ太陽であった。

第12章 幾山河 第5巻 会長室篇.下 (新潮社刊)

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