立花隆のことば 知の巨人の書斎の変遷 

「知の巨人」といわれた立花隆。学生時代に「宇宙からの帰還」を読み、引き込まれた。岩波新書の「書斎の王様」(「図書」編集部編)に収録されている立花隆の「わが要塞」。知の巨人はかくあったのかと感動もし、クスッと笑いながら読んだ。

「田中角栄研究」「日本共産党の研究」で知られる作家、ジャーナリスト、評論家の立花隆が亡くなって3年(2021年4月30日亡)が経った。

上面の開口部が内径27.5㎝×60㎝、深さ30㎝。これは、りんご箱の大きさである。木箱の板厚は8㎜程度。外枠部は別の板で補強されて結構頑丈。

立花隆の書斎は30代半ばまで、りんご箱で構成されていた。多い時には、60箱のりんご箱を使った。1箱50~60冊は入る。これを壁面に5段ないし6段に積み上げて立派な書棚になる。壁面でなく、部屋の真ん中に、これを背中合わせに積み上げると書棚であると同時に立派な間仕切りになる。

私好みの書斎の条件は、①外界から隔絶された、②狭い、③機能的に構成された、空間である。

立花隆「わが要塞」※以下、引用は全て同所より。

これこそ知の巨人の若き日の書斎であった。若き日の立花隆は引っ越しばかりしていた。平均して一か所に2年は住んでいなかった。新しいところに引っ越すと、最も居住性が悪い場所、すなわち、光も入らず、外気もあまり通わない場所。そこに、りんご箱を積み上げる。デスクを置き、デスクのまわりを積み上げた壁で囲う。デスクの上にも積む。左右も積む。後ろも、この空間に入ってこられる隙間だけを残してあとはりんご箱で囲う。外から見ると、まさに要塞。中は、こもり感が最高。昼でも照明が必要になる。

壁の中の自由な空間としては、椅子のまわりの、ほんの半畳程度の空間しかなくてよい。

壁の中の自由な空間としては、椅子のまわりの、ほんの半畳程度の空間しかなくてよい。書斎では椅子に座っている以外のことはしないのだから、それ以上の空間は必要ない。

それだけ狭く空間を構成することによって、機能性がより高まる。椅子に座ったままで五百冊くらいの書物に手を伸ばすことができ、ちょっと立ち上がる程度の軽い動作を加えることで、さらに千五百冊程度の書物にアプローチすることができる。それだけの書物に手がのばせれば、たいていの仕事は間に合うものである。トータルで二畳くらいのスペースがあれば、こういう空間を作ることができた。

引っ越すときには、りんご箱をそのままトラックに積めばよく、荷造りの手間も、荷解きの手間もいらない。使ってこれほど便利なものはなかった。

時代はりんご箱から段ボールに移行していく。家人からりんご箱に、「そんなきたないものは早く捨てて下さい」と言われるが、立花隆にとって、こればかりは、女房子どもより長いつきあいなのできたないからと捨てる気にはならない。

りんご箱時代から10年を経て立花隆は自宅の書斎と、その他に2か所マンションに書斎を持つ。

一部屋時代最後のアパートは、木造であったために、本の重みでこわれかけた。たてつけが悪くなったのはもとより、壁に亀裂が入ってしまった。これはヤバイと思って、マンションに入居してみた。マンションなら鉄筋コンクリート造りだから、いくら本をいれても大丈夫だろうと思ったのである。しかし、そのマンションでも、本の重さで床を抜いてしまった。鉄筋コンクリート造りでも、普通のマンションはコンクリートの上に木で床を張る。その床の作りがチャチだったのだ。

立花隆は、床が本の重みで抜けないように、コンクリート床のマンションを探したり様々な苦労をする。仕方がないので、設計業者に構造計算をしてもらい、鉄道レールのようなH鋼を部屋の端から端まで渡して、その上に移動式書架を置くことになる。しかし、3か所に分散された書斎である。本や資料のどれがどこにいったのかわからなくなって大騒ぎすることになる。

B4判のハンギング・フォルダーを入れる二段のファイリング・キャビネットを二つ左右に置いた。それと背中合わせに、キャビネットと高さがそろった、スチールの抽出ケースを二つ置いた。その上に30㎜厚の合板を置いて、これを机とした。

立花隆は、デスクを求めたのである。自宅のデスクの大きさは、90㎝×180㎝と巨大である。そのデスクの上に、大工さんから、幅25㎝、デスクの外ヘリに「コの字」型にのるような本箱をつくってもらう。これは、りんご箱時代のものを、より洗練された形で実現したものだ。そして、りんご箱時代から一貫して追求しつづけた「高密度高性能の狭い空間」の一つの極致となる。

一方、マンションの仕事用書斎の方は、ダイニング・テーブルを購入することになる。大きさ、堅牢さのデスクを求めると、大きさの台というと、デスクの上は、ダイニング・テーブルとなる。

最終的に私が選んだのは、横浜元町家具で作っている1m×2mの特大のダイニング・テーブルだった。板厚が4.5㎝、脚が10㎝角のオーク材で、きわめてシンプルな作りのものだが、大人二人で持ち上げるのがやっとという重量級で、どんなにゆすってもビクとのしない。

当時約45万円の代物。買うべきか買わざるべきか。なんども店に行って、このテーブルをなでまわすことになる。デスクとしては高いようでも、自動車にくらべればはるかに安いということで自分を納得させる。自動車はせいぜい10年しかもたないが、こちらは一生もの。自動車より自分の仕事に対する貢献度がはるかに高いと考え購入。立花隆は、日本で入手できる最高のデスクを書斎に置くことが出来た。

立花隆にとって、書斎は要塞であった。

  • 外界から隔絶された、狭い、機能的に構成された空間
  • 半畳程度の狭い資料がすぐに揃う空間
  • 本棚の重さに耐えられる強度
  • ゆすっても揺れない堅牢な広いデスク

我々、凡人にとって知の巨人立花隆と比べることは何もないが、立花隆がどんな書斎で多くの評論や業績を残したのかを知る一つの機会になった。

書斎は、狭くてもいい。本棚が大事だ、そしてデスク、椅子、それがあれば書斎である。立花隆のことばで励まされた。自分らしく、ありのままで、いい書斎でいい時間を過ごしていきたいと思う。

参考図書

「図書」編集部編 「書斎の王様」岩波新書 岩波書店刊 1985年12月20日発行

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